新企画「海外NOW」シリーズ 第二弾 大村良幸会員

 新企画「海外NOW」シリーズとしてヘボン経済人会にてスピーカーの方にお話して頂く予定でおりましたが、新型コロナウイルスの収束が出来ない状況下にてヘボン経済人会ホームページにて会員、明治学院関係者の皆様に限定してお読み頂ければ幸いです。

 今回は第二弾として1984年経済学部商学科卒業の大村良幸会員に「香港NOW」をホームページ上にてお話を聴かせて頂きます。

 

            2021年4月5日                    

  明治学院大学ヘボン経済人会 総務財務委員会  柏原 明

 

 

 

 

 

「香港NOW」       2021年4月1日

 

1. 香港には人生のミラクルが詰まっている!~私と香港の軌跡

 

1984年に経済学部商学科を卒業した大村良幸(80C)でございます。今回、私が住む香港の現状、そして私の香港での生活について、お伝えしたいと思います。

 

夢や志しがある人にとって、香港はチャンスとミラクルに溢れている絶好の場所ではないかと思います。これまでの私の香港生活は、偶然の出会いやチャンスに導かれた、あっという間の34年でした。

 

香港に来たきっかけは、大和証券への入社です。国際部に配属された私は、1988年のバレンタインデーに、旧・香港啓徳空港(カイタック空港)に降り立ちました。ここから私のめくるめくエキサイティングな香港生活が始まります。

 

当時の啓徳空港は、九龍の市内中心部にほど近い場所にありました。林のようにそびえ立つビルの間を縫い、建物すれすれに降下する飛行機の姿は迫力そのもので、今でも多くの人々の記憶に残っています。

 

因みに “私の人生で、とても大切なもの” の1つである妻 (またの名を”女帝”とも言います !)とは、大和証券時代に日本で出会いました。考えてみれば、妻や香港との出会いを与えてくれた会社に入社した事が、私の人生の最大のミラクルだったと言えるかもしれません。妻とは香港赴任中に結婚し、香港で生まれ育った娘は現在イギリスで働いています。

 

話を戻しましょう。香港駐在5年を終えた頃、帰任の辞令が出ました。ところが日本へ帰国後ほど無く、若気の至りで会社の営業方針に疑問を持ったことから退職願いを出すことになります。

 

ちょうどその時、香港在住のある方から転職の誘いを受けます。その方こそが次の私のボスとなる訳ですが、このボスとの最初の出会いもミラクルそのものでした。香港駐在当時、私は中国株の担当をしていました。その為、しばしばお隣の深センへ出かけていましたが、たまたまその深セン行きのバスの隣に座った人が、私の未来のボスになったのです。

 

彼はシンガポールに本社を置くDBS証券の香港社長でした。 赴任中はさほど交流がなかったのですが、仕組まれたようなタイミングで、香港オフィスのジャパンヘッドの話を持ちかけてくれました。

 

いろいろな縁を感じた私は、帰国の荷物を解かないうちに香港へ舞い戻ることになります。人生何があるか分かりません。それからというもの、香港金融業界で実に様々なポジションに携わり、その言葉通り “多岐にわたる経験” を積むことになります。

 

DBS証券には7年間勤務しました。次にフランスに本社があるソシエテ・ジェネラルへ。その後、三井住友アセットマネジメントでファンドマネージャーとして運用経験を積みました。それから英系ヘッジファンドに移籍。ここで学んだことは、「どんな事があっても預かったお金は一銭も減らしてはならない」という“ 最上級の顧客第一主義”

の哲学でした。(これが現職での私の基本理念となっています。)

 

現職は光大新鴻基(エバーブライト サンフンカイ)の資産運用部門にて、ジャパンデスク統括として主に日本人のお客様へ各種金融サービスをご提供しております。当社は、源をたどれば香港四大財閥の1つである「新鴻基(サンフンカイ)」グループの金融部門を担う位置付けで、創業50年になります。

 

こうして書くと多くの転職に驚かれるかもしれませんが、実は香港、特に金融業界では、ごく当たり前のことなのです。香港では「転職を繰り返してステップアップをする」という考え方が根付いています。

 

だからと言って誰でも都合よく転職ができるわけではありません。日本人でありながらこの変化の大きい香港で、そして競争の激しい金融業界で30年以上も続けてこられたのは、一重に香港という街がミラクルやチャンスに満ちており、ラッキーにもそれを掴むことができたからだと思います。ですから、香港という街に心から感謝をしています。

 

 

 

2. コロナ禍でも大躍進、パワフルな日系企業と日本びいきの香港人

 

ご多分に漏れず、香港も新型コロナの影響を強く受けています。第4波の席巻中、毎日数十人の感染者が報告される日もありましたが、現在はかなり落ち着いています。香港の面積は東京都の約半分、人口も約半分ですので、感染者数を見る限りかなり押さえ込みに成功しているのではないかと思います。

 

香港政府によるコロナ対策は、非常にスピーディーかつ細やかな徹底した対応がなされています。たとえば現在、公共の場で集まることができる人数は4名までとなります。レストランで食事ができるのも必然的に1卓4名までとなり、営業時間も夜10時までです。バーやカラオケ、マージャン店等は、長い間閉鎖されたままです。これらの規則を破ると厳しい罰則が設けられています。

 

そのため多くの業界で影響が出ていますが、こんな中でも飛躍的な活躍を遂げているのがドンキホーテや、スシロー、すき屋をはじめとする日系企業です。

 

香港人の日本びいきは有名な話です。またここの人々は大の旅行好きとしても知られています。そんな海外旅行好きの香港人が出かける行き先トップ3が日本、台湾、タイなのだそうです。しかし今の状況下では旅行をする事ができません。

 

先ほど名前を挙げた日系企業は以前から人気を集めていますが、旅行ができない、外食も自由にできないという状況で、より一層需要が増したのです。

 

たとえばドンキホーテ。(こちらではDON DON DONKI という名で展開をしています。)

コロナ禍の2020年7月に第3番目の店舗をオープンした後、ほぼ隔月で新店舗を開拓し続けており、2021年1月には第7番目の店舗をオープンしました。 DON DON DONKIのテーマは「日本製品」。日本製品の安心感やその莫大な品揃えが、旅行ができない現地の人々を喜ばせています。

 

スシローは2020年1月に第2番目の店をオープンした後、僅か1年で、既に6店もの店を構えています。会社のスタッフに話を聞くと、香港にいながら日本を感じることができる日本さながらの店構えや、日本の味をそのまま味わえるメニュー、そしてお手頃な価格帯などが、スシローの魅力のようです。

 

またコロナ禍で多くのレストランが閉業せざるをえない中、すき屋の前にできるテイクアウトの行列は途絶えることがありません。

 

暗い話題が増えがちな昨今ですが、日系企業の邁進に日々勇気や元気をもらっています。

 

 

 

 

3. 「転がる香港に苔は生えない」、商売上手の香港人

 

若い人々の流行についてもお伝えしたいと思います。 商売上手で知られる香港の人々は、コロナと言えども立ち止まることはありません。どんな時もパワフルに、変化を受け入れ順応し、アグレッシブです。

 

例えば、香港には畳四畳半にも満たない、とても小さなスペースの店舗が多く存在します。2年連続で世界一物価が高い都市となった香港(ECAインターナショナル、2020年12月発表)、店舗などの賃料も飛びぬけて高額です。そのため、少しでも安く借りることができるようこのような小さな店舗が存在するのです。

 

こうした店舗は、香港の流行や変化に敏感で、お店の形態はしょっちゅう変わります。

5、6年前の流行は「日本の手巻き寿司」でした。歩きながら簡単に食べられ、また好きな具を選べることから、立ち食い専門の手巻き寿司スタンドがたくさんできたのを覚えています。

 

こうしたブームは2年ほどで変わっていきます。 手巻き寿司を見かけなくなってきた頃、街では台湾や韓国のフライドチキンの店が増えていきました。台湾旅行ブームや韓流ブームの影響を強く受けたのだと思います。

 

そして次は、日本より一足早く来たタピオカミルクティーのブームです。若者が多いエリアでは、10メートルごとに1軒お店がありました。まさに街中タピオカミルクティー店だらけです。タピオカに少し飽きがくると、同じ店舗を使ってお茶にフルーツを入れた女性ウケしそうなものや、チーズティーなどの変り種も増えてきました。それと同時に、やわらかくて弾力のある台湾風カステラの持ち帰り専門店も増えてきました。

 

そういったブームが落ち着いた頃にコロナが流行し、多くのティースタンド専門店がシャッターを下ろしました。しかし、最近また街が賑わいを見せています。こうした四畳半ほどの小さな空き店舗が次に何を売っているか、想像がつきますか?それは、「香港製造」のマスク専門店の出現です。

 

香港は2020年1月頃からコロナの影響が出始めました。2月になると、街中からマスクや消毒液が消え、薬局前にはマスクを買い求める人が行列を作る事態が発生します。

こうした中で立ち上がったのが、地元企業です。約1年前、「香港人が香港人を助けよう」と、実に様々な企業がマスクの製造を開始しました。

 

今では街中にマスクが溢れ、困ることはありません。中でも人気なのは、その頃起業した「香港ブランド」のマスク専門店なのです。当初はプレーンな不織布マスクが中心でしたが、今はカラフルで色鮮やか、柄も豊富な不織布マスクが揃っています。若い人々はこうしたマスク専門店で1枚から好きな柄を買い求め、ファッションに合ったマスクを楽しんでいます。

 

「転がる香港に苔は生えない」という名前の本がありますが、まさにその通りではないかと思うのです。香港の人々はたくさんの歴史の変化と共に歩んできました。どんな時も強くたくましく、臨機応変で快活。それが私が出会ってきた香港の人々です。

 

 

4. 『香港と日本の架け橋』 ・・・ 私ができる香港への恩返し

 

お世話になっている香港へ何かしたい、そんな思いから数年前より地元ロータリークラブの一員として活動を始めました。

 

活動内容は様々ですが、私が特に力を入れているのが週末のボランティア活動です。現在はコロナの為に休止になっていますが、普段であれば週末ごとに老人ホームなどを訪れ、食料や生活に必要なものを配って回ります。

 

因みに香港はこうしたボランティア活動が非常に盛んで、日常的に行われています。例えば土曜日になると小学生低学年くらいの小さな子供たちが駅前で募金をしたり、色々な団体が施設などを訪問し支援活動をします。そんな香港人の姿をずっと見てきましたので、私にとってもボランティアは身近な存在となりました。

 

週末のボランティア活動以外でもう1つ力を入れているのは、メンバーがお金を出し合い、地元の子供たちに海外で学ぶチャンスを作る、という活動です。今まで色々な国への留学支援をしてきましたが、なんと、日本への実績はまだありません。これからは私が架け橋となり、多くの子供たちに日本留学や、日本交流を体験してもらいたいと思っています。

 

激動の変化を遂げている最中の香港ですが、ここで暮らす人々は本当に明るく前向きで、元気一杯です。困ったことがあれば、躊躇なく手を差し伸べることができる、そんな香港の人たちに、私自身これまで何度も助けられてきました。

 

 

今度は私が行動をする番です。『Do For Others』、このヘボン博士の言葉を胸に、日本代表として精一杯頑張っていこうと思います。

 

長くなりましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。今はコロナ禍の為に往来が難しい状況ではありますが、皆様と直接お会いしてお話をすることができる日が一日も早く来ることを心から願っております。

 

 

大村良幸